与謝野夫妻との関係

昭和8年11月11日、与謝野鉄幹・晶子夫妻が当山を訪れ、晩秋の一日を過ごしました。夫妻は半切8枚、色紙3枚、短冊数葉に歌を書き残しています。

24世善解上人は与謝野夫妻を歌の師と仰いでいました。報恩講で上京した際、毫摂寺東京別院の門徒、竹内宇助氏が経営する赤坂六本木のすっぽん料理店に、与謝野夫妻がよく訪 れていることを聞き、縁を取り持つように依頼したのでしょう。

尊敬する夫妻を前に善解上人は何とか筆の跡を残してほしかったのですが、晶子女史はしきりに「お上人さま」と呼びかけます。紙を出して「何か書いていただ けませんか」と言い出せず、悶々としていたところ、「お上人さま、何か反古がございましたら…」と声をかけてくれました。間髪いれず、反古どころか、準備 していた画仙紙を取り出しました。夫妻は仲睦まじく交互に筆をとって、錦秋の毫摂寺の風景を次々と詠みこんでいきました。善解上人は「女史のその思いやり がうれしかった」と後述しておられたそうです。

蔵書に与謝野晶子著『優勝者となれ』がありますが、その奥付に「昭和九年十一月八日与謝野邸ヲ訪問シ晶子女史ト対談ノ際、鉄幹氏ヨリ贈呈サル」と書かれ、夫妻と上人との親交がその後も続いていたことを示しています。