宗祖親鷲聖人について

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 親鸞聖人
親鸞聖人(1173~1262)は、日野有範の子で、9歳の時得度、その後20年間、比叡山で厳しい修行をされつつ、凡夫の救われる道を求めて諸方をまわられましたが、遂に29歳の時、聖徳太子ゆかりの京都六角堂に100日のお篭りをされたのがご縁となり、法然上人に遇われ、あらゆる人を救わんという阿弥陀仏の本願念仏に帰依されました。そして自ら恵信尼と結婚して在家生活をされ、そのご生涯をかけて、凡夫が救われる道を実証された方であります。

35歳のとき、念仏停止(ねんぶつちょうじ)の無法な朝令によって越後(新潟方面)にご流罪になられましたが、数年後赦免されてから常陸(ひたち:茨城県)を中心とする関東方面で自らの信心を深めつつ、現地の人々に本願念仏の教えを広められました。性信房、真仏房、順信房、明法房など、たくさんのお弟子・門弟ができる中、52歳には「教行信証」の著述をれ、浄土真宗教義の根本を明らかにされました。

60歳過ぎごろに京都に戻られ、70歳代から多くのご和讃や仮名聖教、門弟へのお手紙などを書かれましたが、90歳の11月28日、ついに念仏の息を終えられました。

聖人のこのお徳を曾孫の覚如上人が「報恩講式」を書いて讃えられており、聖人のつねづねの仰せを唯円房が書き記した「歎異抄」が近年特に多くの人々の心を打っています。

親鸞聖人 略年譜
○ 承安三年(1173) 日野有範の子として京都醍醐に御誕生。
○ 養和元年(1181) 青蓮院にて御得度(9歳)。以後20年間比叡山で御修行。
○ 建仁元年(1201) 法然上人の専修念仏の門に入られる(29歳)。
○ 承元元年(1207) 念仏停止により越後の国府へ流罪(35歳)。
○ 建暦元年(1211) 流罪赦免(39歳)。その後しばらく越後に御在国。
○ 建保二年(1214) この頃より上野・常陸方面で御教化(42歳)。
○ 元仁元年(1224) この頃「教行信証」の初稿を著される(52歳)。
○ 年代不詳      60歳を過ぎた頃、京都に帰られる。
○ 天福元年(1233) 京都出雲路に堂宇を創建し、善鸞上人に附与される(61歳)。              (出雲路山毫摂寺々伝)
○ 宝治二年(1248) 76歳の頃より和讃・ご消息など多くの聖教を著わされる。
○ 弘長二年(1262) 京都善法院にて御入滅(90歳)