み教えについて

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 教義
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真宗出雲路派 本山 毫摂寺 教義 
阿弥陀如来の本願を信じ、お念仏申す身に自らの生きがいを見出し、まことのいのちに目覚めたよろこびの上から「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」の願いに生きる。

この教義にあらわされています「本願」とは、阿弥陀如来が法蔵菩薩のとき、迷い、苦しんでいるわれわれ衆生を、なんとしてでも救いたいという大きなお願いを発されたのが「ご本願」であり、菩薩のたいへんなご修行によってその救いの道が成就されたのが「*南無阿弥陀仏」の「ご名号」であります。

親鸞聖人のみ教えは、金儲けや健康増進に役立つというものではなく、人生そのものの根本問題解決への大切な指針であります。

① 何のために生まれてきたのか・生きているのか。
② 死んだらどうなるのか。
③ なぜこのように苦しまねばならないのか。

これらは、人生の根本問題でありましょう。

親鸞聖人は、

①に対しては「仏になって、衆生(あらゆる人々)を幸せにするためである」と
②に対しては「生きているときから仏になる道を歩み、娑婆の縁つきて力なくして終わるときには、お浄土にまいってこの上ない仏のさとりを得、世を救うはたらきに入らせてもらうのだ」と
③に対しては「苦しみ悩みの絶えないのが我々凡夫なのだ。如来はその凡夫を憐れみ、捨てないで、救い取ろうと今我々のところに南無阿弥陀仏と呼びかけ、来ていてくださるではないか。あなたは一人ではない。この如来のお心をいただいた者は、どのような苦しみの中でも如来に常に護られている事を力強く感じられる。私もそうだった」と、お答えになられるでしょう。

以上は一つのいただきかたですが、親鸞聖人のみ教えによって「金剛の信心」を獲させてもらえば、人生のどのような問題も受けて立つ力を如来からいただくことができます。そのお手本を聖人がお示しくださっているのです。

*「南無阿弥陀仏」とは、その発音によって、何か神秘的な力がはたらくという「呪文」ではありません。「帰命無量壽如来 南無不可思議光」(ひかりといのちきわみなき あみだほとけをあおがなん)というれっきとした意味があります。「南無阿弥陀仏」は、昔のインドの言葉サンスクリット(梵語)で、「ナモーミターユス(=ナマス + アミタ + アーユス)」と「ナモーミターバ(=ナマス + アミタ + アーバ)」という発音をそのまま漢字に写したものです。『ナマス』とは「敬う、したがう」という意味で『帰命』と訳され、『アミタ』の「ア」は「無い」という意味、「ミタ」は「限られた、量ることができる」の意味、したがって『アミタ』は『無量』と訳されました。『アーユス』は「寿命」の意味。『アーバ』は「光」の意味です。そこで親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」の意味を「帰命無量壽如来 南無不可思議光」と頂かれたわけです。