法話 ー 平成28年5月更新 ー

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 法話
 ■■ 私、救われていくでしょうか?(1) ■■
ある方から「長年、阿弥陀様のお慈悲をお聞かせいただいていますが、私のような者が救われていくのでしょうか?」というお尋ねがあった。聞法はしているが、救いの証(あかし)はどこにあるのかということであろう。

親鸞さまにお尋ねしてみよう。お答えはまず浄土和讃にある。

「真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる 不退のくらゐにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ」

真実信心を得た人は、即刻、往生成仏することが間違いなく定まった人々の仲間入りをする。それは、もうそこから後ずさりしない「不退の位」ともいわれる。この世でこういう「定聚の位」に入った人は、必ず最高のさとりである滅度に至らせてくださるというのである。「この世から正定聚に入る」というところがキーポイントだ。
では、正定聚とは具体的にどういうことだろう。教行信証の信巻にそのお答えがある。
「(如来様のお心をいただいた)金剛の信心を得たならば、すみやかに、五趣・八難という(仏法を聞きがたい)世間の道を超え出て、この世において、必ず十種のを得させていただくのである」として、次に具体的な十益をあげておられる。(まず最初の五つをいただいてみよう)

■ 一
冥衆生護持の益(目に見えぬ方々(諸天・善神など)から護られる益)…
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」と
浄土和讃にもある。
■ 二
至徳具足の益(この上もなく尊い本願名号の功徳が身にそなわる益)…いつもお念仏が口から出て下さる。
身について下さり、たえず私の羅針盤となって下さる。
■ 三
転悪成善の益(罪悪を転じて念仏の善と一味になる益)…後半の「マサカ」参照。
■ 四
諸仏護念の益(諸仏に護られる益)…「南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して
よろこびまもりたまふなり」と浄土和讃にある。
■ 五
諸仏称賛の益(諸仏にほめたたえられる益)…正信偈の「是人名分陀利華」はその意味である。

こうして項目を挙げると、それが真実信心を獲て、正定聚に入ったかどうかの「チェックポイント」(点検項目)のように思われるかも知れないが、それは親鸞聖人が京都、越後、関東などで本願念仏を喜ばれながら「利益」として身に実感していかれたものばかり。特に三番の転悪成善の益には、法難が転じて非僧非俗の信を深め、関東布教への機縁となったという「利益」の実感が窺われる。

「この世には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そしてマサカ」とよく言われるが、土橋秀高先生にはそのマサカがいくつも起きた。定年前に龍谷大学を退職し、山科の自坊に戻られ、ほっとした2,3年後、奥さんが暫くの患いで逝去。その1年後、失火により自坊が全焼。漸く本堂再建、だが、その喜びもの、東京に単身赴任していた長男が、若い妻と二人の子どもを遺して自死。泣く泣く葬儀を済ませた1年後、その若妻は二人の孫を連れて寺を出てしまう!・・・悲しみ、驚き、落胆の連続・・・先生、今頃どうしておられるかと、かつての教え子淺田正博氏らがお見舞いにいかれると、お話は亡くなった子息のことばかり。 しかし、本堂にあった一首に驚く。

「両親(おや)おくり妻先にゆき子の急ぐ茜の雲は美しきかな」

これだけのマサカに遭いながら、「茜の雲は美しい」とは!悪苦を転じて浄土の喜びに変える如来の智慧に遇っておられる証、正に「転悪成善」の利益を実感されていたのだ。
正定聚の益・救いの証とは、誰かにお墨付きを貰う話ではなく、自ら実感するものである。

 

 

群萌188号より
了慶寺 住職 藤枝宏壽(福井県越前市押田)