境内建造物のご紹介

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 阿弥陀堂
  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 阿弥陀堂
明治17年(1884)の造営。
方便法身の阿弥陀如来の尊像を安置し、聖徳太子御自作の尊像及び七高僧を奉安する。本堂、 即ち阿弥陀堂は、 御影堂と同年の造営で、総欅造りの壮麗にして尊厳さに満ちた堂宇であります。一本の柱、一渡りの虹梁、一枚の板戸を見ても、 結集された門信徒の念力が偲ばれます。両余間の襖絵は、菱川師福の作であります。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 阿弥陀堂門

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 阿弥陀堂門
文化8年(1811)造営。
男性的な御影堂門と対照的な優美な曲線を描く唐破風造り、青銅葺の優雅な総欅の御門であります。正面には越前松平家の三つ葉葵の紋が浮き彫りとなっており、両脇の躍動感あふれる鯉の滝登りの彫刻は、すべて一枚彫りであります。また、礎石を用いず、石に似せた加工が施された欅の柱は、大変興味深いものとなっています。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 御影堂

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 御影堂
明治17年(1884)の造営。
宗祖 親鸞聖人の御木像を中央に、前代上人、列祖上人の御影を両脇に安置し、余間には十字名号、九字名号を奉掲する二十間四面の大伽藍で、総欅造りであります。碧瓦、白壁は高樹の間に聳え、本山布教伝道の根本道場です。内陣天井画並びに上檀縁の画は、近世画壇の泰斗菱川師福の力作として注目されています。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 御影堂門

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 御影堂門
文化8年(1811)造営。
正面の豪荘、雄渾な欅造りの総門です。前面、十数幹の松並木にそって門前通を形成し、通用門から両堂門をつらね鐘楼まで続く五ツ筋塀は、聖域の風致に優雅さを加えています。旧来は、赤瓦に笏谷石の鬼瓦が乗せられていましたが、落下の危険性より近年の改修により下ろされています。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 経蔵

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 経蔵
文化8年(1811)造営。
境内に北面する経蔵には、一切経が収蔵されており、中央に釈迦牟尼仏、脇士として迦葉、阿難両尊者像が安置されています。堂の向拝虹梁の、かけ登りの獅子の彫刻は、見事な作風とたたえられています。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 鼓楼

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 鼓楼
天明8年(1788)造営。
木造3階建で、上層に大太鼓が吊るされています。1階は布教の座が開かれる総会所、2階は参詣者の宿泊所になっています。この建物は、本山の諸堂の中で最も古い建造物であります。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 鐘楼

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 鐘楼
文化8年(1811)造営。
東南隅の十二本柱入母屋造りの鐘楼は、越前笏谷石の重層の上に建立され、三手斗供腰組蓮台高欄仕立、扇垂木総欅造りの全国でも数少ない絢爛豪壮なものであります。大鐘は希望に明ける暁を告げ、その梵音はあまねく十万に響き渡り、人類の平和を永遠に願うものであります。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 納骨堂

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 納骨堂
納骨堂は、宗祖親鸞聖人750回報恩大遠忌を記念して、阿弥陀堂隣に移転、新たに建立されました。石塔部にはスリランカより奉呈された仏舎利をお収めしてあり、内部には御門主による「俱会一緒」の文字が刻まれ、旧堂より彩色の阿弥陀仏像が遷座されております。旧堂の様式を踏襲しつつ、永代にわたってお守りするにふさわしい落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

真宗出雲路派 本山 毫摂寺 毫摂寺会館

  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 毫摂寺会館
宗祖700回大遠忌のお待ち受け記念として、昭和33年に完工を見た会館です。
古代仏堂の形式を取り入れた、間口九間、奥行十二間の小屋組、鉄骨仕立でありますが、外観は木造となっています。正面にステージを設け、上段には本尊が安置されています。その他に、準備室、茶室、映写室が備えられており、ここでは、仏事、講習、大会、一般行事の他、仏式結婚等、各種の催しが行われています。
真宗出雲路派 本山 毫摂寺 のえ女の碑
  • 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 のえ女
のゑ女は、明和4年(1767)鯖江市持明寺(元丹生郡吉川村)に百姓権兵ヱの姉として生まれ、乳母として当本山に奉公していました。文化5年(西暦1808)11月下旬の雪が降った朝、山内庭で二人の姫の遊び相手をしていたところ、突然手負いの大猪が襲って来ました。のゑは、身を挺して毅然と立ち向かい、全身に六ヶ所の重傷を受けながらも二姫を守り抜きました。

この忠義の行いに対して、福井藩主から姓「猪子」と銀を賜るなど厚く褒賞されました。のゑは、その後も79歳で生涯を閉じるまで当山に奉公し続けておりました。同女の墓には釈清心尼の法名が刻まれ、碑の裏手に続く墓地の西北隅、大楓の下につつましく建てられています。のゑ女の像と碑は昭和九年に設立され、平成元年に修復されています。